明治後半、京都市で生まれた堂本印象は、京都市立美術工芸学校および京都市立絵画専門学校に学び、官展を中心に活躍した。短期間ながら母校で教鞭(きょうべん)を取り、画塾「東丘社」を結成するなど後進を育て、83歳で逝去するまで長く京都画壇の中心的存在だった。 京都国立近代美術館で開かれている「没後50年 堂本印象 自在なる創造」は、その画業に正面から取り組んだ、同館で初めての回顧展だ。 第1回帝展入選の「深草」、第3回特選の「調鞠図」、そして帝国美術院賞を受けた「華厳」から絶筆となった「善導大師」まで、代表作約80点が5章に分けられ並ぶ。 印象は正統派日本画家として出発し、戦後抽象画へと作風を転じたが、順に見ていくと、初期から新しい視点の摂取に積極的だったことがわかる。また第二次大戦後、60歳を過ぎて初めて行った欧州巡遊などを経て画風は大きく変化したが、その作品は常に仏教的世界観に裏打ちされていたことも見て取れる。 病室に画材を持ち込んで描いた絶筆「善導大師」では、抽象的な黒い線の造形の向こうに大師の柔和な尊顔が覗(のぞ)き、印象のたどり着いた境地がうかがえる。 期間中、4階コレクションギャラリーでは「堂本家の人々と東丘社」を展示している。
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